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ナイチンゲールの日

こんにちは。ひらたクリニックの看護師:谷口です。

ゴールデンウイークが終わりましたね。

皆さんは、どこかへお出かけされましたか?私も、お出かけしていっぱいパワーをもらってきました。当分連休はありませんが、また頑張りたいと思います。

ところで日は過ぎてしまいましたが、昨日5月12日は何の日かご存じですか?

5月12日はナイチンゲールの誕生日です。近代看護を築いたフローレンス・ナイチンゲールの誕生日にちなみ、5月12日を『看護の日』と旧厚生省により1990年に制定されました。5月12日を含む週の日曜日から土曜日までが『看護週間』です。

今回は、ナイチンゲールについてブログを更新しました。よかったら見てみてください。

ナイチンゲールって?

『近代看護教育の母』『クリミア(白衣)の天使』と呼ばれるフローレンス・ナイチンゲール。彼女はイギリス人の看護師で、医療改革を行った人物です。(1820年5月12日~1910年8月13日)

裕福な家庭に育ったナイチンゲールは、家族の猛反対を押し切り看護師の道へと進みます。1854年クリミア戦争で、看護師団の団長として戦地へ赴き、負傷兵に天使のような優しい態度で接するなど、その活躍ぶりはイギリス中へ知れ渡ります。戦地から戻った後も、陸軍病院への改善提案や看護学校の設立、自らの経験を基にした書籍の執筆など、生涯にわたり医療・看護の改革に貢献しました。

戦場の天使として献身的な看護を提供

当時の陸軍はもちろん男社会であったため、野戦病院に着いたナイチンゲール一行はお嬢様たちのお遊びと馬鹿にされて軍医や軍からも歓迎されず、看護の業務につかせてもらえません。

野戦病院での傷病兵は不潔な病院の床にそのまま寝かされ、戦場で生き残っても傷ではなく感染症で命を落とすような悲惨さ。ナイチンゲールはそうした状況をなくそうとまず看護の業務につけなくても掃除や食事など衛生状態の改善に努めました。

この尽力により病院の状態が改善されたことが受け入れられ、またちょうど戦闘が激化し傷病兵の数が多くなったことからナイチンゲール一行は看護にあたることになります。

現在では普通ですが、毎日包帯を替えることや病人に合わせて料理人が作った料理を提供すること一人一台の寝台など少ない支給物資の中からでも個人の健康管理を考えた看護を行います。

また、看護の仕事だけでなく、負傷兵のために母国に残された家族に手紙を書いたり、死亡した兵の家族に死亡報告と一緒に僅かでも義援金を添えたりと心理的な面でも力になるために奔走します。

衛生管理・健康管理の徹底により生存率を大幅に改善

ナイチンゲールはこの病院の看護婦総責任者となり、衛生管理の徹底と個人の健康管理を考え、夜回りを怠らず行ったことで死亡率を数十%減らし、最終的に2%まで抑えることに成功するのです。

ちなみに、夜間に問題がないか怠らずランタンを持って夜回りを行っていたことから“ランプの貴婦人”とも言われていました。

イギリスへの帰国後は執筆活動や医療衛生制度改革に尽力

ナイチンゲールは戦地で従事している際にクリミア・コンゴ熱にかかり、治ってからも後遺症が残ってしまいます。さらに、さまざまなストレスや心労が重なり慢性疲労症候群を患い、40歳の頃には現場では働けないくらい弱ってしまいます。

以降なくなるまでの約50年間、ほぼベッドの上での生活となりますが、現場で働けなくても執筆活動等で自らの経験を伝えることや看護師育成に力を入れるなど医療に尽力し続けました。

1901年81歳のときには失明し、1910年8月13日90歳のときロンドンにて生涯を閉じました。

ナイチンゲールが後世のために果たした功績

  • 世界初の看護学校の設立
    看護婦と医療関係者の教育のため、生活保護のためにナイチンゲール基金を設立し、ロンドンの聖トーマス病院内に看護婦養成学校を創設しました。
  • 数々の医療衛生改革により現代でも続く近代的な看護体制を確立
    1860年40歳の時に出版した『Notes On Nursing(看護覚え書)』は、看護の原点と基本的原理が論述されており、現在でも看護教育の教本としてベストセラーを誇っています。ちなみに、現在当たり前となっている病院内のナースコールやナースステーション、病床の配置など病院建築の形体を考案したのもナイチンゲールなのです。
  • 統計学の母としても有名
    野戦病院での看護の経験から『当時の陸軍病院の死亡の大半は戦争による負傷などではなく、院内の劣悪な衛生環境にある』ことを突き止めました。この事実を専門家でないヴィクトリア女王に訴えるにあたり、わかりやすく説明するためにデータ集計及び可視化に尽力します。
    クリミア戦争で戦死した兵士の状況を分析するために、死亡率や平均入院日数の計算などを用いた医療統計学を生み出しました。棒グラフや円グラフがない当時、現在でも使われている「レーダーチャート」や「鶏のとさかグラフ」も実はナイチンゲールが生み出したものなのです。

 

いかがでしたか?看護師を志さなくてもナイチンゲールの名前は聞いたことがあった方も多いと思います。

看護覚え書は、昔も今も看護学校では教科書として使用しています。そのため180年以上たった今でも看護師にとってはベストセラーとなっているのですね。私も看護学生時代に教科書として使っていましたし、今も時々読み返すことがあります。皆さんも懐かしい本など一度読み返してみてはいかがでしょうか?

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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